2012年5月10日 (木)

まちづくり・コミュニティーデザイン

山崎亮氏が「地域を変えるデザイン」で書いていた。

生活者は、その場所で暮らしていくことの専門家であり、よりよい暮らしを生み出すちからを持った人たちです。ところが、多くの生活者はそのことをすでに信じていません。何か問題が有れば専門家に頼めばいい、行政に頼めばいい、と考えてしまう癖がついてしまっています。

別書では、

行政と市民との協働で、むしろ慣れていないのは、柔軟に対応できていないのは、組織が硬直化した行政のほうではないか、とも。

やっているだけ、いつも同じメンバーだけ、の行政では、共感を呼ぶまちづくりはできないだろう。やる前から結論が見当がつくような。

月、我、書く、という意志。自分を掘り下げる、広げる。

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」
「さうして、苦しい時なの?」・・・ 太宰治『津軽』

そして、太宰は三十八、か。

もっと言えば坂本竜馬は三十三、高杉晋作は二十七。

我は何を成し、何を残すか。さあ、始めよう。